えっちなはなし

なんで春画の性器は巨大なの?江戸時代の性事情に秘密がありそう

紳

『なぜ男性の巨根を「UTAMARO(ウタマロ)」と呼ぶのか――教養としての性』によると、喜多川歌麿による春画で男性器が大きく描かれていたことから、巨根を「ウタマロ」と呼ぶことがあるそうです。

 
うたまろ

こちらは歌麿が描いた春画。確かに女性器も男性器も強調して描かれています。しかし、こうした描き方をしたのは歌麿だけではありません。

 
春画2

上は作者不明の春画ですが、歌麿と同じように性器を巨大化して描いています。その他にも「春画」で画像検索をすれば、大きい性器のものがたくさん表示されるでしょう。

それにしても、なんでこんなに大きく描くのでしょうか?
現実とかけ離れすぎて落ち込む男性もいたんじゃないかと心配になってしまいます。

江戸時代の性事情を調べてみました


裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 (新潮選書)

そこで参考になったのが、こちらの『裸はいつから恥ずかしくなったか』。この本によると、江戸時代までの日本は裸体に関してかなりオープンだったそうです。

全国的に男女混浴の公衆浴場が存在し、浴場から裸のまま帰宅した人もいたといいます。今から考えるとちょっと想像ができないですが……。

当時の日本人にとって、裸体はダイレクトにセックスと結び付くものではなかった。では、当時の日本人にとって裸体とは何であったのか。外国人らの記述から総合して考えると、次の仮説が得られる。当時の日本人は裸体をあたかも「顔」の延長、「顔」と同等のものとして考えていたのではないか、と。

p.105から引用

春画が隆盛を極めた江戸時代。その頃は裸体が「顔」のようなものだったから、人を扇情させる要素は性行為そのものしかなかった。

そのため春画は性器を誇張しているのではなく、行為を強調していると考えられそうです。

まとめ

春画に描かれる性器の大きさには、裸体への価値観が反映されていました。性器そのものにはポルノグラフィティ的な価値はなく、あくまでその行為を生々しく描くことに意味がありそうです。

もちろん現在では裸体に関する価値観が変わり、性器や裸は恥ずべきもの・エッチなものと考えられています。江戸時代から現在まででどのように価値観が変わっていったのかは、また別の記事で……。